【商福亭法楽のプロフィール】
ビジネス漫談の頂点を決める「¥-1グランプリ」(ゼニワン・グランプリ)優勝
ビジネス小噺協会 会長
芸能生活30年にして日本で突如、彗星のごとく現れたビジネス漫談界の知られざる巨匠。
ビジネス小噺界の世界一を決める「¥-1グランプリ」(ゼニワン・グランプリ)において、長年の宿敵だった「満腹亭四暗刻」・「セキュリ亭脆弱」・「脱臭亭激臭」の四天王対決を制して、初代グランプリ優勝を飾る。
優勝賞品の世界旅行で訪れたハワイにて、後の盟友となる「トミー・マハロ」と出会い、ともにパワースポットめぐりで「マナ(超自然の魂の力:ハワイ語)」を得る。
その後に訪れたイッギリス王国にて、EUからの合意無き離脱危機に直面し、出入国の支障があってはいけないと、あわててメヒコ国に移動。
その際、アッメリカ国との国境に壁が作られそうになり、またも出入国の危機に直面して、急いで空路にて南米に向かうも、バミューダ・トライアングル付近で航空機ともども消息不明の事態に陥った。
「¥-1グランプリ」運営であったビジネス小噺協会の幹部らは、「ウチの賞品の世界旅行で消息不明って、いろいろ面倒なことになりそうですなぁ~」などと、どこかの政治家っぽく、¥-1グランプリの開催自体もなかったことにするという、世間でよくありそうな黒塗り情報開示のような問題のモミ消しにあい、それ以降、日本社会から商福亭法楽の名もビジネス小噺も知られずに過ごすこととなった。
一方、その頃、マナのフォースに導かれて流れ着いた旧共和国にて、世直し漫才活動をしようとしていた法楽は、同国で一世を風靡していた「出す舌亭穴禁」の汚れたフォース一発芸に対し、「漫才の方向性が違う」「コーパー・コーパー言ってて何も面白くない」として、あきれてXウイング航空で日本に帰国した。
帰国後、法楽は、東京で活動していた元国連出身でハワイ生活にてマナのフォースを得ていた戸村智憲と出会い、戸村は法楽との固い絆で応援するとして、ここに、商福亭法楽とビジネス小噺・ビジネス漫談が日の目を見ることとなった。
戸村の講演を舞台そでで見ていた法楽は、「おいおい、今のジョークはどこがおもしろいんだい?」と、毎度あたふたしていたようで、スタッフから「戸村さんの講演とかけて、法楽さんの様子とときます。その心は、どちらも、オチつかない」などと言われたようであった。
そのせいか、ネットでは「戸村も法楽も、実は、スベリ芸なんじゃないか?」とか、「戸村と法楽が同時にステージに出ていないのは、実は、法楽が世を忍ぶ仮の姿が戸村なのでは?」などとまことしやかに噂されるに至るとか至らないとか・・・。